Tの拾遺

(テキスト作成は1997年)

第19話 甦った白鯨

脚本・宮田雪  絵コンテ・佐々木正広

084◆タイトル◆

放映当時、第19話の予告を聞いた時、てっきり「よみがえった白鯨」と表記されると思っていた。ところが、当用漢字ではない「甦った白鯨」ときた。漢字とカナのバランスに対する拘泥が明白である。

085◆白鯨

トリトンが様子を探るために近付いた島は、木も草も生えておらず雪を冠ったように真っ白であった。海中に潜ると、「島」はトリトンを睨みつけた。島と見えたのは、巨大な白い鯨だったのだ。メルヴィル「白鯨」にインスパイアされた第19話は、白鯨のゾンビとトリトンと、かつて白鯨を殺した銛打ちが登場する夢の共演である。

鯨のアルビノは、通常灰色程度らしいが、1992年以降に、オーストラリア東海岸の島で確認されたザトウクジラ(マッコウではない)は、まさしく雪のように真っ白である。この純白のクジラは、唯一頭のアルビノ個体で、現在も生存しているはずだ。純白という目印によって、クジラの行動調査の指標になっているらしい。このような純白で巨大なマッコウクジラを見れば、「変な島」と思ってしまうのも、無理からぬ所だろうか。

「白鯨」の翻案は、監督J・ヒューストン、脚本R・ブラッドベリの「白鯨」が有名で、あと「海の野獣」(1926年)がある。日本でも、宇能鴻一郎「鯨神」を大映が映画化しており、巨大な鯨(セミクジラ)と陸人の闘争という主題に共通する部分もあろう。
「白鯨」のテキスト解釈は多岐に渡っているので割愛するが、第19話のモチーフは紛う事なく悪魔と人の戦いである。白鯨がレハールの傀儡なので、図式が明確である。また、トリトンにとっては、久々にピピやイルカ達から離れ、単独で陸人と接触する機会を得る事になる。ポセイドンが、陸人に及ぼす影響を肌で感じとり、ポセイドン憎しの思いを強固にしたことだろう。

白鯨すなわちマッコウクジラは、イルカと同じ歯鯨だが、特異な部分が見られる。
まず「クジラの潮吹き」。噴気孔が左前方に一箇所開いているため、巨大な頭部の突端近くから前方に45度傾いて、潮吹きが行われる。「トリトン」に於いて、この部分は明らかに変である。レハールが、再生する時に手を抜いたのだろうか。映画「白鯨」では、このポイントは押さえていた。

次にレハールの意図を実行する奸智と機動力。マッコウクジラの脳は動物中最大で、且つ脳重の脳幹重量に対する比が、イルカ、陸人より大きい。この脳の前方にあるジャンク(脂肪組織)で音波を集束して相手を麻痺させる(という説がある)。金縛りの際、トリトンが白鯨の正面に位置していた事と無関係ではあるまい。ジャンクの上方に位置する脳油器官は、人工衛星にも使用された高級脂肪酸エステルの塊である。これを使った大深度潜水は、上昇下降速度の平均が毎分百m、最深三千mに及ぶ。
そして、ダイオウイカを食べる生物なので、ゲプラーより強力であるという最強モンスターのお約束も踏襲している。
トリトンを追い詰めるには、最適の生物だったわけである。

087◆ロレンス

陸人にとっての凶獣・白鯨を殺した海の英雄ロレンスは、反エイハブ船長として登場する。「白鯨」での一等航海士スターバックに該当する。トリトンは、白鯨との再度対決を決意した後のロレンスしか見ていない。しかし視聴者は、動揺し侮辱されても返す言葉を失っているロレンスを見ている。この辺は、アラビアの英雄ロレンスがエル・オレンスと呼ばれながら、英雄でも豪傑でもなく、篤実な考古学者だった事と重なって見える。

無謀にも、小型の機帆船で海へ出たギルティを追って、ロレンスとトリトンは一晩中、船を駆る。その行程でロレンスが回想するのは、キャッチボートと熟達した銛手であった自身と暗い朝の海であった。そして今、乗っている船は、小型とはいえ捕鯨砲を備えた動力船である。ロレンスは、近代捕鯨へ移行する際にドロップアウトした者だったのかもしれない(となると、いつの時代の話だ…!)。

不死のはずのゾンビ白鯨は、オリハルコンの短剣の力で呪文解除され、ロレンスの放った銛が止めを刺した。白鯨の死体は、またも消えてしまったが、ロレンスはその名の示す通り、名誉を回復したのである。ロレンスは、羅語で月桂樹、勝利、名誉の象徴である。レハールは、トリトンと遭遇するまで白鯨の慣らし運転のために、陸人の船や港を襲ったが、その事が期せずしてロレンスを引きずり出す事になった。

ところで、原典である「白鯨」は、初出当時は不評を被り、二十世紀初頭に再評価されるまで半睡状態であった。メルヴィル再評価の一翼を担った作家にD. H. ロレンスがいる。作品として、「白鯨」をヨイショした「古典アメリカ文学研究」や傷つきやすく繊細な青年の自立を描いた「息子と恋人」、紀行文「海とサルデーニャ」がよく知られている。この作家の短編に「太陽」という作品がある。太陽に憧れる女性が、紺碧の大西洋を臨む海岸で太陽と交感交媾する様を描き、自然を賛美した詩美あふれる佳品である。

次の第20話に登場するヘプタポーダは、原作版に於いても同様の役柄で、最後にはトリトンの味方になる。ただアニメ・トリトンでは、その動機が「輝く太陽と青い海」を欲したためであった。これは原作版には存在しない。
この第19話のロレンスというキャラクター設定が、ドミノ式に第20話のモチーフへつながっているなどという強引な解釈をするつもりはない。ヘプタポーダが、太陽に憧れる心情を解釈するテキストとして適当ではないかと思えるのである。

088◆「白鯨」その他の事◆

メルヴィル「モービィディックまたは白鯨」は読めば判る通り、小説の体をとった散文詩である。各人各様の解釈を生み出すメタファーの多さは、シェイクスピア作品に似ている。
 そのためなのか、TV「宇宙大作戦」ではシェイクスピア作品の科白を引用していたのに、映画「スタートレック」では、2、4、最新作と「白鯨」から引用するようになった。「白鯨」が米国作品という事も要因であろうか。

宇宙の海は俺の海、というわけでもないだろうが、荒々しくも格調高く象徴性に富む「白鯨」は、とても格好が良い。

089◆ギルティの船◆

ギルティは英語の「罪を感じている」の意であろうか。

ギルティの船は、小型機帆船で動力は焼玉エンジンである。これを起動させるのにはコツが必要だが、さすが海の子、要領よく操作してチャッチャと港を出て行く。というより、一種の家出か。