(テキスト作成は1997年) 第4話 北海の果てに脚本・辻真先 絵コンテ・斧谷稔027◆北極海◆極点到達や北西航路発見のために出かけた多くの探検家を呑みこんだ北極海。陸地を持たないために押し上げられた氷が、南極とは対称的な光景を見せる。極寒の地であるが、生物相は豊かであり、巨大なものも多い。氷上ではホッキョクグマ、キョクアジサシ…、海洋では海獣や鯨類…。 海獣類はトリトンらの味方、但しイッカクはポセイドン族の手先。海との関わりが少ないホッキョクグマやホッキョクギツネは登場しない。ベルーガは、ルカーと紛らわしいのでカットしたのだろうか。キョクアジサシは大西洋側が主なので、これも登場しない。シロフクロウはインターミッション代りか。ユウレイクラゲは傘径2〜3m、触手が37mなので戦闘場面の構成が可能と思われるが、これも登場しない。通信クラゲと絡めて出せば面白いように思えるのだが。 028◆海獣たち◆アザラシのブル、モヤ、セイウチのバキ、ゾウアザラシのプロテウス。 アザラシは特にエスキモーの伝説や神話に於いて人間との関わりが深い。ケルト神話では、アザラシ?人間の変化やアザラシと人間のハーフの子供等の物語が知られている。これは、アザラシ症と呼ばれる奇形症例が発現する事から、薬物中毒でなくとも同様のものが生まれる事があり、それが伝説に形を変えたとも考えられる。また、同じくケルト神話に於いて、アザラシは人魚の守護神とされており、ピピと海獣たちの設定に関与していると思われる。 セイウチは、北極海にのみ適応した海棲哺乳類で、北極のシンボルとも言えるだろう。海洋エスキモーたちはセイウチを崇拝し、人間的な属性を認めている。セイウチを絶滅の危機に追い込んだのは、牙を狙った欧米人による乱獲が原因である。(キバ⇔バキ…か) ゾウアザラシは、北極にはミス・マッチの動物である。しかし、プロテウスという名を与えられた事で、アザラシ達を率いる神・海の長老という象徴になっている。ゾウアザラシが「プロテウス」となった理由は、セイウチよりも大型である事と、ミナミゾウアザラシが南極に棲息している事からであろうか。 029◆デモラー◆独語の「破壊」の意であろうか。首長竜エラスモサウルス(プレシオサウルス属)の強化型である。特徴として恐竜と決定的に異なるのが、板状の鰭足と頚椎の数の多さであろう。 また、長い首を自在に動かすために、頚椎が七十個以上並んでいる。哺乳類は七個、大型恐竜でも十数個である。(今更だが、ネッシーが首長竜ならば、「ネス湖の恐竜」などと呼ぶのだけは避けてほしいと思う) 第4話は、1話に続いての竜の登場となる。ユングの解釈を引用するなら、怪物の手から乙女を解放する部分、アニマ(男性の中の女性的な面)からの脱却を意味する。このユングの説については、フェミニズムの観点から批判がある。そして、トリトン自身、全く脱却していない事は明らかである。こういった局面での男性性とは、どのようなシロモノなのか。それはプロテウスの科白でも明らかである。 030◆人魚◆手塚治虫「化石島」「ピピちゃん」の人魚は男である。「エンゼルの丘」を経て「青いトリトン」へ至り、アニメ化に際して東映動画のテイストを加味されたのが、ピピのキャラクター造形と思われる。「海のトリトン」での人魚は、トリトン族の女の幼生形態という設定から両棲人間と同義である。 博物学上の人魚については、創元社「人魚伝説」が出版されたので、主要な事柄をかき集めて再構成する必要がなくなった。(但し、一部の図版が裏返しである)引用文献も入手が容易なので、遡及して確認が可能である。人魚本の必須項目を並べてみると、およそ次の通りになろう。
このうち、人魚が聖書の誤訳によって生まれた件は、ユイスマンス「大伽藍」に記述されている。それによると、人魚はジャッカル、ラミアはフクロウ、サテュロス他の毛むくじゃらの生き物は牡山羊、ドラゴンは蛇・鰐・ジャッカル・鯨等を示す言葉の誤訳、ユニコーンは初期の牛、ベヘモスはサイまたはカバ、レバイアサンはボア等を本来は指す。これを聞いた登場人物いわく『空想動物園の方が面白いのに残念ですね…』同感である。 031◆鉄砲勇介(鉄砲勇助)◆トリトンに助けられたブルは、長老プロテウスを前に一席ぶつ。 ブル「氷を鰭に抱えこんで、千切っては投げ、千切っては投げ」 古典落語「鉄砲勇介」の有名なくだりのディバージョンである。 また終盤、デモラーを海から氷上へ誘導する際も、なぜかデモラーの名前を知っているトリトンが「醴(あまざけ)、進上」とやる。デモラーにすれば言葉の意味は判らないが、とりあえず馬鹿にされている事だけは理解したのだろう。 書くまでもないが、これは子供の遊びで敵や鬼をからかい囃す言葉である。ただ折口信夫氏によると醴・甘酒は、神様や死者の魂を呼ぶために供えるものである。つまり、なんらかの重要な儀式の一部なのだ。これが経年の末、囃し言葉に変化したものと考えられる。死んでしまった大事な人を呼び戻すために唱えられたのが発生元では…という事が容易に想像できる。 この言葉は、かなり昔から流布されており「雑俳・柳筥」「夢想兵衛胡蝶物語(作・曲亭馬琴)」「今弁慶」にも登場する。 032◆氷漬けの船◆人間が造り放棄した船に住む、南はドリテア、北はピピ。ミノータスはミノタウロスよろしく氷の迷宮に住む。 船は人間の肉体の象徴(両性具有)であり、安全・希望・信頼を表わす。廃船はそれらとは対極にあると思われるが、閉鎖された密度の高い空間を有しているため、海人にとっては家(=安全)と同義なのだろう。但し、女性性へのステロタイプになりはしないか。 氷に閉じこめられた破船のイメージは、フリードリッヒ「氷海」が鮮やかに描き出している。プロテウスがトリトンに語った話は、約百三十年前のフランクリン探検隊遭難の事だろうか。この時すでに蒸気エンジンも搭載し、補給艦まで用意していたが、2叟の船と百二十九名が失踪した(捜索隊の船も氷に阻まれて遺棄されるケースがあった)。探検隊の悲惨な足取りが判明したのは出帆から十四年後で、一部の死体には人肉を食べた形跡もあったらしい。この危険な北西航路探検に「知恵と勇気」で終止符を打ったのがアムンゼンであったのは、これも有名な話である。 033◆トリトン族の女は人魚◆トリトン族の幼生形態は、男=人間型、女=人魚型。但し、女はいずこかの時点で人間型へ移行するらしい。まるで両生類である(原作トリトンは幼生形態のまま成長する)。これについて、製作者の意図を推測すれば…、
といった所か。生殖は、鯨類・海牛類を見れば判る通り人魚形態でも全く問題はない。むしろ、正常位と呼ばれる対面での交合は海棲哺乳類の特徴である。むろん、原作のように卵生でも良いが。 陸上生物の規範はひとまず置いて、水棲生物として見た場合、人間型・人魚型どちらが好都合なのか。生き残り戦略は単純である。より素早く活動し、防御し攻撃し、食餌する事だ。足と鰭では、水中でのスピードに歴然とした差が生まれる。足は危急の場合、陸へ逃避するための手段としては有効だが、海のど真中ではそうもいかない。
他にも女の方が優位な事例はあるが、男が優っているのは、瞬発力が大きい事とホルモン分泌による変調が少ない事ぐらいである。 |