Tの拾遺

(テキスト作成は1997年)

第8話 消えた島の伝説

脚本・松本力  絵コンテ・大貫信夫

049◆マレビト再訪

海以外に何も見えない絶海の孤島へ、見知らぬ風体の訪問者があるとすれば、神人か、でなければ魔物の類い。

トリトン族=人魚という類型で見ると、人魚が津波を連れてくる日本の伝承または、東南アジアの伝説に則して物語を作ったのだろうと推測される。
十八世紀、クック船長が補給のために立ち寄ったハワイで、出発後の船のトラブルで引き返した際、原住民のメンタリティを把握していなかったために惨殺された。この事件と「消えた島の伝説」の語るタブーは異なっているが、プッチャーの祖父は、トリトンの事を少なくとも人間とは見ていない。従って、真珠貝をどれほど土産に持っていっても、魔物かエビス神かのどちらかに判断が振れるだけで、まともな話を聞く事は出来なかっただろう。

050◆消えた島の伝説◆

北海のノルトシュトランド島、英国のロメア島…、浸食、地震による陥没、津波による流出。或いは火山から生まれ、火山によって消える島。

水没大陸のように大きいものはともかく、小さな島や半島の一部等の消失は事実ある。平安時代後期の「日本紀略」にも地震による島の出現や大陥没が記されている。大分県・瓜生島伝説のように十六世紀末の事件でさえ、真贋論議の分かれるものもある。「浦の嶋子」もこの種のバリエーションかもしれない。

プッチャーの体験した事件は、鮫神と少年の姿をした神の争いによって大津波が起こった…と語られ、伝説を変えていくのだろうか。

051◆大津波◆

海上で起こる波の、上限理論値は38mらしい。しかし、海底の地形によって集束された場合、とてつもなく巨大になる。

アラスカの特異な形状の湾では、湾の奥から海へ向かって高さ五百三十mの波が発生している。約一万年前、融氷水パルスが作った大洪水は、痕跡から高さ約二百mと推定されている。
海上での最大の波は、石垣島・宮良湾を襲った明和八重山津波である。波が川の上流地帯まで達し、スリ山を超えて名護湾にまで到達した(諸資料で波の高さは85mと記録されているが、近年になって実測を行なったところ20m以上高くなっているかもしれないらしい)。石垣島だけで八千人以上が溺死しており、全滅した村もあったらしい。波が引いた後には、珊瑚の付いた巨大な岩塊が残り、現在も八重干しの奇観として見る事ができる。

「海のトリトン」の他、「未来少年コナン」でも津波が描かれているが、アニメ化の際に留意の必要な事柄を並べておく。

  • 潮が急に沖に向かって引いていく時、空気も一緒に運ぶため、陸から海にかなり強い風が吹く。
  • 引いた潮が、今度はジェット機並みの速度、時速七百Kmで押し寄せてくる時、津波が陸を叩く音がする。海全体がノーンと声を発し、波が立ち上がると大砲のような轟きが響き渡る。
  • 波は、海底のヘドロや岩を全て浚ってくるため真っ黒である。
  • この時、風は海から陸へ吹く。三陸海岸の津波では、海から走って逃げる人の髪が、前方へなびく程の追い風だったらしい。

「海のトリトン」の場合、津波の源がゲプラーだったため、海底隆起に近い現象が起こり潮は引いていない。プッチャー達の住まいは開放型の小屋だったので、おそらく音で気がついて飛び出てきたのだろう。プッチャーもおじいさんも手荷物ひとつ持たず着の身着のままで脱出している。天災の先触れが見えたら、とにかく身ひとつで逃げる事である。

052◆トリトンの衣服◆

『Aは黒、Eは白、Iは赤、U緑O青よ 母音らよ…』、ランボーの詩「母音」は女性の部位の形と色彩を詩ったものらしい。トリトンの纏っている色は、緑、赤、白、黄、黒、紫である。各色の特徴を列記してみると、

  • 紫色は、オリハルコンの短剣の外殻を覆う色。高貴な器物を彩る反面、死・狂気の象徴でもある。ホメロスは海の色として用いている。西洋の紫は赤の成分が多く、日本は菫色に近い。
  • 黄色は、マントの留め金具、脚絆の色。黄色は太陽の色、生命・真理・不死を表わす。その反面、意識を喪失する時に閃くのが黄色。涅槃の色、法悦の色でもある。
  • 緑色は、衣服ではなくトリトンの髪の色。人魚の髪の色は、ふつう緑色であり、海は緑色として表現される。最も象徴的な色といえる。ランボー「母音」の『U緑』も髪の形と色を意味している。映画「緑色の髪の少年」の少年ピーターの場合、透明感のある(当時のテクニカラー独特の)深い緑色の髪で、トリトンを実写にするなら、こういう色と思わせる。トリトンの髪の起源が、人魚なのか、それとも、この映画なのか。監督のみぞ知るという所か。
  • 赤色は、マントの色。緑とは対称色。赤と白の組み合わせは、悪魔と死の象徴でもある。赤は直截的には血の色である。日本の赤は、紅葉であり、漆の赤だろう。近年は、西欧の激情・興奮 あるいは狂気の赤が幅をきかせている。
  • 黒色は、ベルトの色。黒は様々な色を内包しつつ、明確に屹立した色である。闇・影または儀式等の象徴は黒であり、死である。

トリトンは、後退色である青色つまり海や空から、最も浮き立つような色を配置されている。緑色を除く個々の色及び組み合わせ自体に、特別な意味付けは成されていないと思われる。中には付会できそうな色もあるにはあるが…。
そして衣服は、トリトン族の衣裳である。つまり、絹、木綿、合成繊維ではない。海で手近な素材といえば、エビ、カニ等の甲殻類が持つ天然のポリマー、キチンだろう。

キチンは、甲殻を脱灰処理→水洗→乾燥→粉砕し、酵素によって除タンパク質を行なって取り出す。キチン分子を構成するN―アセチルグルコサミン分子からアセチル基の外れたものがキトサンである。キトサンの現状の製造工程は、いささか過酷なので、特殊な酵素を使った穏やかな良い方法を、トリトン族またはアトランティス人が持っていたのではないだろうか。

これらは、抗張性に優れ、酸、アルカリ、蛋白質分解酵素に抵抗を示し、水には容易に溶けない。しかも特定の酵素によって、様々な糖鎖(オリゴ糖等)に完全分解する性質もある。陸人も、このすぐれた特性に着目し、利用を始めている。例として、人工皮膚、縫合糸、薬効の調整材、抗ガン剤、免疫増強の素材、化粧品、毛髪化粧品、廃液処理材等々。トリトン族及びアトランティス人は、これらの生化学的特質を究めていたのかもしれない。

また、衣服として加工する際に、陸と海を頻繁に往還する必要から、素材の表面をフラクタル構造にしていたはずである。製紙用中性サイズ剤アルキルケテンダイマーを見ると判るが、表面張力の小さいフッ素材料を使わずに超撥水表面が作り出せる。これによって衣服は、上陸した時に速やかに水をはじく。埃を払うように軽く振れば事足りる。 トリトンを拾い上げた一平は、海水に浸かっていたはずの服が傷みも濡れもしていないのを見て、すぐに異質のテクノロジーで作られた事に気づいていたはずである。でなければ、サイズの合わない衣服を大事にしまっておくはずがない。さすがに一平は常人ではない。