Tの周縁

EXPO'70_大阪万国博メモ

「Long time ago…」

管理人が以前に発行した個人誌には、「海のトリトン」再放送資料として1970年〜1990年まで9回分のテレビ番組ページが添付されています。1970年春は、まだ「海のトリトン」の放映とは直接関係がないので、3月14日(土)のものを使用しました。この日は「日本万国博」の開会日で、NHK_教育以外は全チャンネルで万博開会式の模様をガンガン中継しています。
番組表を添付した目的は、当時の朝日放送の状況を再確認するためでもありましたが、この大イベントを遅ればせながらメモしたくなったので、チョイチョイとまとめました。

「いわゆる…夢の前」

夕方には「ジョー90」「からくり儀右衛門」が放映されていたりしますが、一日中「万博」漬けといって良いでしょう。当時の資料を繰ると、メディアに流れた広報はおよそ以下の通りです(テレビのみ)。

  • 1965年…_9本
  • 1966年…31本
  • 1967年…42本
  • 1968年…76本
  • 1969年…82本
  • 1970年…46本

開催年は、もはや広報の必要が無いほどの凄い来場者数でした。現在の大阪市内に見られる代表的な風景も、開催に合わせて3年程で整備され、当時のマスタープラン(1990年完了予定であった)に沿って展開されたものです。

「パビリオン」

巨大な見せ物小屋。趣向を凝らした寿命6カ月の建造物は、居住性を無視した大胆なものばかり。アーチ部材をトラス状に組んだ東芝、ジオデシックドーム内を全周スクリーンにしたみどり館、膜構造を用いたアメリカ館、電力館、富士グループ館。吊り屋根式の英国館。そして、特製ジョイントでスペースフレームを形成したお祭り広場の大屋根。デザイン優先でムチャをしたエキスポタワー等々…。
万博終了後も一部は、各地に分散・保存されているそうですが、傷みも相当激しそうな気がします。結構あちこちの展示館に入場したはずなのですが、パンフはあまり残っていません。絵地図万国博カード記念スタンプ本はありますが、いきなり資料が打ち止めです。
■P.S.(2005.6.21)「旅」1970.4号が出てきたのでオマケ追加。

博覧会ゆえに、産業の紹介や観光案内が王道というものでしょう。でも、当時の管理人がいちばん多く行った場所は、エキスポランド隅っこの創造遊園でした(爆)。

「今も昔も…」

事故・事件も参考までにまとめておきます。

駆け込み入場といえばコミケの専売特許みたいですが、この時から既にありました。バッファロー・ダッシュと呼ばれたそうです(ボトムズかい)。あとは列挙になりますが、「動く歩道」転倒事故。中央口デモ事件。スパナ投擲事件。太陽の塔・右目乗っ取り。出稼ぎスリ。展示品の盗難(最高被害額は香港館の宝石4880万円)。協会警備隊員による集金車襲撃。ペプシ館の無許可風俗営業行為。象の行列(神戸港〜会場)。エキスポサーキット珍走族。信号無視のフランス人。統合失調症(精神分裂)のメキシコ人…等々。はっきり言って、警察かなり大変状態です。

この後、みんな夢から覚めましたネ。
 
■P.S.(2006.06.05)
 ホントに蛇足です。現在の万博公園へ至るルートで、個人的に利用しているのは、阪急千里線・山田駅を降りて西口を通り「自然文化圏」を抜けていくコースです。散策を楽しむゆとりがある場合に限ります(大した距離ではありませんが)。