「続日本紀」桓武天皇・延暦三年五月、AD_784年。

長いが引用すると『摂津職言さく、「今月七日卯の時、
蝦蟇二万許(ばかり)、長さ四分可(ばかり)にして、その色
黒く斑なるもの、難波市の南道より南の汚地に列ること
三町ばかり。道に随ひて南に行きて、四天王寺の内に入る。
午の時に至りて皆悉く散り去りぬ」とまうす。』   
難波市とは、難波京に置かれた官市の事。四天王寺は言わず
と知れた、聖徳太子建立と伝わる有名なお寺である。   

管理人は、埼玉県某所で蝦蟇ガエルの大移動に遭遇した。
ここの場合は、道路工事によって池を寸断した事が原因
だと、後日に知れた。蝦蟇にはガマの事情があるのだ。

つまり当時は、難波京といえども環境は
蝦蟇ガエル仕様だったという話である。

※難波宮(前期)に都が移されたのが_645年。全焼が_686年。
白村江の会戦や大津京遷都等の様々なイベントの後、長岡京遷都
に伴って難波宮(後期)が解体されたのが上記_784年であった。