上図は、現在の地図+佐野町場絵図(上善寺・蔵)+旧佐野町場復元
図(櫻井・松井論文より)を合成し、歪みを適宜補正している。  

(1)は春日神社。(2)〜(8)は各々合祀・遷座された神社である。

各々、(2)西村神社、(3)浜出戎神社、(4)今村神社、(5)
若宮神社、(6)松崎神社、(7)椋山神社、(8)大分引神社。 

A〜Gは覚書。順に、A:旧新川家(ふるさと町屋館)、B:食野家野出
屋敷跡、C:妙安寺、D:大将軍橋及び高札場跡、E:西番匠谷藤田家、
F:車通り(古民家が並ぶ)、G:子安地蔵(旧町名=地蔵町の由来)。

念のため説明すると、Cは食野家の創建で且つ管理人家が代々お世話に
なった寺だ(w)。Dは近辺の町名(=大将軍町)にもなった石橋、高札場は
文字通り競りが行われた。Fは府道との接点から浜辺まで続く古民家の
集まる通り。Gは、かなり大きな地蔵堂(6.5m×4.5m)だが、府道の
拡幅工事で消滅した。一応、移築はされたが小さい(参考書籍→)。 

神社跡地のうち、(7)の椋山神社は特に駅が近かったので、その後に佐野
町警察署から住友銀行、そして高層マンションへと姿を変え現在に至る。

尚、旧国道26号(現・府道63号)は戦中、管理人家を含む多くの住宅を
すり潰して開通したのだった。その残滓は今も残る。上図からも判読可能
だが私的な事柄である。そして、別の問題(247号線)が潜んでいるのだ。

特筆すべきは、紀州往還よりも北側(海側)で、古い町並み・街道のため
とても狭く曲りくねっている。情緒はあるが、防災上は最悪といえる。 
南海地震から3四半世紀。何も変わらないのは是か非か。築70年の我が家
(建材は百年以上)には、地震のダメージがそのまま残っている(w)。